C1 アリエテ
名称 | C1 アリエテ | CV | 森樹里 | ||||
イラスト | 藤沢孝 | ||||||
主兵装 | 44口径120mm滑腔砲L44 | ||||||
補助兵装1 | 7.62mm機関銃MG42/59 | ||||||
補助兵装2 | -- | ||||||
装甲 | 増加装甲(複合装甲) | ||||||
補助装甲 | -- | ||||||
携行品 | -- | ||||||
対歩兵 | 32 | 装甲 | 45 | 索敵 | 25 | ||
対装甲 | 62 | 命中 | 15 | 運 | 5 | ||
対航空 | 10 | 回避 | 15 | 渡渉 | 4 |
燃料 | 60 | 弾薬 | 30 | 耐久 | 100 |
解体 | 30/30/30/増加装甲(複合装甲)/44口径120mm滑腔砲L44 |
昇級 | 必要Lv | 必要資材 | 耐久 | 対歩兵 | 対装甲 | 対航空 | 装甲 | 命中 | 回避 | 索敵 | 運 | 渡渉 |
改1 | 25 | 800/800/1000 | 5 | 3 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 10 | - | - |
改2 | 65 | 1600/1600/2500 | 10 | 5 | 5 | 2 | 3 | 3 | 3 | 10 | - | - |
待ってる間に祝勝会の準備しておいてね!
イタリア陸軍の第3世代MBT。戦後初のイタリア独自設計の戦車。
砲塔前面が傾斜してスリムに見えるが重量は結構重い。
第3世代MBT内では性能的に先進性や尖った部分は無いものの、戦車競技会では各国のレオパルド2勢に次ぐ成績を残している。
『前進1速後進5速』も未搭載な、侮れない戦車。
性格は陽気で朗らか。甘えるより甘えられたいタイプ。
君が司令官君かな? 今日からよろしくね。フルネームだと長くなっちゃうからアリエテでいいわ。イタリア国産の第3世代MBTよ。あ、今、機動性なさそうとか思ったでしょ? こう見えても戦車競技会じゃ割と良い成績だったんだから。信じないなら今度、見せてあげてもいいわよ、ふふ。そういえばあなたは『前進1速後進5速』って聞いて来ないのね。何度か聞かれたけど、イタリア戦車の伝統なのかしら。よく意味が分からないのよね~。
セリフ一覧
セリフ一覧
入手方法
アイテム交換(30Pt) 2018/7/18~7/25
【限定製造】2018/1/17~1/24
【限定製造】2017/8/9 ~ 8/23
以後、不定期的にピックアップ入り。
合成強化
合成 | 効果範囲 | Lv | 効果 |
-- | -- | 1 | なし(Lv2から) |
自身 | 2 | 対装甲火力6アップ | |
3 | 対装甲火力15アップ | ||
4 | 対装甲火力20アップ | ||
5 | 対装甲火力25アップ |
備考
C-1アリエテとはイタリア国産の第3世代MBT(主力戦車)。アリエテとはイタリア語で牡羊座を意味する。
アリエテは本車以外にも第二次世界大戦前に編成されたイタリア陸軍機甲師団のひとつに冠せられた愛称として用いられており、現在もアリエテ機甲旅団がその名を引き継いでいる。この事からアリエテはイタリア戦車史において伝統ある名となっている。
かつては国産戦車を生産していたイタリアであったが、WW2にて敗戦、その後に再軍備されたイタリア陸軍はアメリカから供与されたM47パットン戦車やドイツのレオパルト1を使用していた。しかしイタリア国産戦車の必要性が叫ばれ、1982年から開発に着手する。
1986年に試作車が完成、翌1987年にイタリア陸軍へ引き渡し、1990年にC-1アリエテとして制式採用された。
性能面では44口径120mm滑腔砲・複合装甲・最新のFCS(射撃統制装置)と同世代の第3世代MBTと同等の性能を持つ一方、1300馬力のエンジンに対して54トンの車重により機動力の面では一歩劣るが、それでも最高時速65kmを出している。
しかしイタリアの財政危機と冷戦終結に起因する国防予算削減により最初の量産車が引き渡されたのは1995年であり、以降2002年までに200輌が生産された(ちなみに同年代生まれのMBTにして同様な経済状況だった日本の90式戦車は1990年~2004年までに341輌生産)
また、発展型として計画されていたアリエテMk.2も同様の理由でキャンセルされて以降、大きな仕様変更は行なわれなかったが、2022年に対機甲戦・不正規戦両方に対応出来る増加装甲パッケージを備える等の近代化改修が施されたアリエテAMVが開発されたとのニュースが報じられた。
ちなみに台詞中の「前進一速・後進五速」とは、1940年9月、WW2北アフリカ戦線においてイギリスの植民地であるエジプトへ進攻したイタリア軍が駐留するイギリス軍に呆気なく撃退された上に追撃され、1941年2月までにエジプトからリビアまで700kmも退却した事に由来する。
以降、イタリア軍の弱腰ぶりと逃げ足の速さを揶揄する表現として現在でも言われている。
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- 最終更新:2024-03-04 23:07:07